JRP札幌支部

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「写真」への誘い

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自分の写真の個展を開くことは夢ではありません。
北海道に限らず、たくさんの写真ギャラリーがある銀座や新宿でも発表できるのです。

平成23年版の高齢社会白書には「高齢者人口は今後、(省略)『団塊の世代』(省略)が65歳以上となる平成27(2015)年には3,000万人を超え~」と書かれています。
定年後の時間は長くなる一方です。
若いころに取り組んでいた趣味を思い出し、再挑戦に使おうと考える向きも多いのではと思います。

今、趣味としての写真は明らかに時代の追い風を受けています。
デジタルカメラの普及により容易に自前でプリントができ、インターネットは作品発表の場を提供し、個展のための公募情報も満載です。
フィルム時代には高価であった大版のプリントも当時に比べたらはるかに安価です。
自分の作品を額装し、自宅の壁に飾り、腕組みをしながら笑みを浮かべるのも悪くありません。
無論、支部主催の合同展に出品をすることもできます。

1960年代の香りがする名を冠する『日本リアリズム写真集団(JRP)』へ是非ご参加下さい。
仲間がいると写真は2倍にも3倍にも楽しくなります。(大坂忠)
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by jrps | 2013-07-06 12:03

写真をもう一度 10

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 講評会が終わって地下から地上に出たのは夜の11時を回っていました。
渋谷の街は人とネオンサインの賑わいに溢れていました。
僕は携帯電話を取り出しました。「どうだったの?」と妻。
僕は彼女のポートレイトがほめられたことと「下北半島にて=1964-65=」をメーカーの公募に応募するように勧められたことを話しました。
妻はいかにも信じられないという口ぶりで「本当なの?」と。


 後日、ペンタックスフォーラムから「合格です!」という電話をいただきました。
併せて40年前のS2で撮った写真であることを絶賛されてしまいました。
展は2009年9月に実現をしました。
安友氏は自身のブログにも掲載して下さいました。

(WEB冊子)
※ブログ管理者注:このWEB冊子はとても素敵ですので、ぜひご覧ください。

 初めて講評会に参加したのは2008年4月でした。
一歩を踏み出すまでは時間がかかりました。
しかし、学生時代には夢想すらできなかった個展を実現できたのは加齢による図々しさと相まってデジタルの時代だからこそ、という思いがあります。

 講評会で一番学んだのは「で、何を言いたいの?」という心臓に最も悪い安友志乃氏の質問にいかに言葉で答えるか、でした。
今もその質問を自分自身に問いますが上手く答えられないでいます。
講評会は幸か不幸か現在は実施されていませんから僕はまだ心臓発作を起こさずに生き延びています。

 また、毎年多くのメーカーから魅力的なデジタルカメラが発表され、少なからず食指が動きます。
そんな中で公募に応募する写真を撮るとき使うカメラは、僕は我慢をして2社の製品に絞って使っています。そのわけは経済的なことと、メーカーの公募に応募するためです。
無論、先が長い方やカメラの操作を容易く覚えられる方には必要のない我慢かもしれませんが。
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by jrps | 2012-12-11 11:26

写真をもう一度 9

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 安友さんの最初の言葉は「で、大坂忠さん、何を言いたいの?」でした。
僕は一瞬心臓が凍りつくような緊張を覚えました。
僕は心の中で「何でわざわざこんな所まで出てきたんだろう。黙って、静かに札幌に居れば良かった」とつぶやきながら、手早くテーブルの上の写真を片付け始めました。
「ちょっと待って!」と安友さん。
「これは面白いね」と妻のポートレート数枚を指しました。
僕は「ポートレートの練習です」と答えながら早くその場から消えてしまいたいと思いました。
安友さん「たくさんあるの?」
僕「はい、あります」
安友さん「作品としてまとめると面白いかもしれないわね」
僕「・・・・」

 とりあえずテーブルから僕の写真が消えたので椅子に座りなおしました。
安友さん「ところで、その手に持っているのは?」
僕「コピー紙にプリントした古い写真です」
安友さん「あらそう、並べてよ」
僕「いや、これは40年前の写真ですから・・」

 僕が手に持っていたのは50枚ほどのA5サイズの作品とは言い難いものでした。
僕の写真の原点のようなのを聞かれたらお見せしようと思って会場に持参した「下北半島にて=1964-65=」というのでした。
19歳と20歳の2年間下北半島に通って撮った写真です。
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by jrps | 2012-12-03 11:32

写真をもう一度 8

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 もうすぐ63歳になるという4月、僕は「今回はひとりで上京したい」と妻に話しました。
妻も繁華で雑多な街が大好きなので東京へ行くときはいつも一緒でした。
しかし、その時ばかりは、講評会でコテンパに批評をされて落ち込んで帰ってくるのだろうと想像をしていたらしく、妻の返事は「はい。私は家にいます」と。

 池袋のビジネスホテルにチェックインをしました。
シングルの部屋はこんなに狭いのかと思いながら荷物からプリントを取出し、ベッドの上に並べてみました。
「こりゃ、だめだ。参加するのは間違いだ」と改めて思いました。
しかし、せっかく飛行機代を払ってきたのだからと思い直し、覚悟を決めました。

 講評会の会場は渋谷駅の近くの喫茶店の貸会議室でした。
8人ほどの参加者がいたと思います。
安友さんが「今日はわざわざ札幌から参加してくれた人がいます。まず、その大坂さんから」と言われました。
僕はドキッとしました。
まさか一番目とは。
まったくの想定外のことでした。

 大きなテーブルにA5サイズのプリントを30枚ほど並べました。
手がぶるぶると震えていました。
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by jrps | 2012-11-24 17:58

写真をもう一度 7

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 アサヒペンタックスと標準レンズを中古で手に入れたのは高校2年生になってからでした。
僕は写真を撮らずに議論に明け暮れていたのですが、一眼レフカメラは撮ることの楽しさを何倍にもしてくれました。
高体連などがあると自分の高校の選手の活躍を撮って、夕方に暗室にこもってキャビネ(現在の2L版程度の大きさ)に焼き、玄関ホールの壁にべたべたと張りました。
翌朝、教員や生徒が登校してくると前日の活躍を写真で見ることができるという仕掛けでした。
僕はこれこそ「真の報道写真」だと粋がっていました。

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 安友志乃氏の著作を読みながら大昔の青臭い議論のことを思い出し、タイムスリップをしたような気分になりました。
氏の主宰する講評会に参加したい気持ちを抱きながら一歩を踏み出すことができず、酷評されることへの覚悟ができるまで2年ほどの時間がかかりました。
それくらい自信がなく臆病でした。
しかし、同時に刺激がほしいとも思っていました。
思い切って安友志乃氏へ講評会に参加したい旨のEメールを書き、「送る」をクリックするまでもコンピュータの前で腕組みをし、随分と時間がかかったように思います。
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by jrps | 2012-11-17 09:03

写真をもう一度 6

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 当時の池田首相は「所得倍増計画」を発表し、マツダ自動車のR360クーペという軽自動車を30万円で発売するという広告が新聞に出ていた頃です。
同時に写真部にはアサヒペンタックスやニコンFという最新の一眼レフカメラを持っている部員が数人いました。
僕は中2の時に父に買ってもらったおもちゃのようなカメラしかありませんでした。

 写真部にはいかにもお坊ちゃんという感じがする、ぽってりとしたY君がいました。
彼はミノルタの一眼レフカメラを肩に下げて校内を誇らしげに持ち歩いていました。
僕は時々借りてファインダーを覗いていました。
その映像はそれまでのレンジファインダーとは別世界で、そのリアル感に感動しました。

 それ以来、僕は毎月の小遣いを一所懸命に貯金をしました。
学校の帰りには新宿東口にあった「新宿カメラ」に立ち寄りウインドウの中に鎮座している中古のアサヒペンタックスS2が売れないように切に願っていました。

 石原裕次郎の「銀座の恋の物語」が流行り、新宿西口のしょんべん横丁でラーメンが40円という時代でした。
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by jrps | 2012-11-12 09:59

写真をもう一度 5

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 僕は高校に入学して初めて暗室作業を学びました。
校庭の片隅に掘っ建て小屋があり、「写真部」と木片に墨で書かれた大げさな看板が揚げられていました。
部室の半分が暗室でした。
部員は三年生の先輩が一人っきりでした。
大変穏やかな紳士という印象が強かったと記憶をしています。
一年生の目から三年生は大人でした。
ましてや僕は中三で青森から東京に出されていましたからなおさらそう見えたのかもしれません。
二年生はいませんでした。

 その三年生は数人の僕ら一年生に暗室の使用方法を説明し「何かあったら呼んでっ」と言って、それ以来、顔を出すことはありませんでした。
後で分かったのは、彼は受験勉強が忙しかったのです。

 幸い、同じ一年生にM君という暗室に詳しいのが一人いて、彼が他の一年生の先生役をしてくれました。
暗室は一年生の天下でした。
大きな顔をした一年生は毎放課後部室に集まり「写真とは」とか「写真は芸術たりうるか」などという議論を繰り返していました。

 部室を出るのは空腹に耐えられなくなった時間でした。
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by jrps | 2012-11-08 12:30

写真をもう一度 4

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 本のタイトルは大変気になりましたが、店頭で立ち読みをして終わりにしようと思い、ぱらぱらとページをめくりました。
しかし、そこには思いがけなく、写真への姿勢を明快に、時には辛辣に、しかし、僕には納得ができる論調で著者の写真への視点が語られていました。
著者は安友志乃という、40年以上も写真の本を読んでいない者にはなじみのない名前でした。
僕は心臓がどきどきしてきました。
一気に学生時代に写真の本を読んでいる時の気分に浸ってゆきました。
店頭で半分以上も読んでしまいました。

 本を家に持ち帰りました。
そして、好奇心から氏の名前をインターネットで検索をしてみました。
たくさんのサイトの中に、やはり本のタイトルと同じく「あなたの写真を拝見します」という会員制の写真講評会が東京渋谷で毎月行われていることが紹介されていました。
僕は早速にブックマークに登録をしました。
同時に他の著作である「撮る人へ」と「写真家へ」を注文しました。

 デジタルカメラの恩恵は大きなものでした。
フィルムの本数を気にすることなく、学生時代のように庭の片隅に水道と電気を引き込んで暗室を設けることもなく、楽々と、仕事で使っている事務用のプリンターでしたがA4サイズの「作品」をプリントして妻に喜んでもらっていました。

(大坂 忠)
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by jrps | 2012-11-04 17:56

写真をもう一度 3

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 僕は広い意味でポートレートが好きです。
特に新しいカメラやレンズを手に入れた時には試し撮りと称して無料のモデルの妻を撮りました。
僕は被写体にポーズの注文を付ける方ではありませんから妻の日常の様子が中心です。
また、家の近所でたくさんスナップ写真を撮ることに精を出しました。
基本的なことはフィルムカメラと変わりないように思いましたがときどき出現するカタカナ単語には悩まされました。
「ロウで撮って現像する」が「RAW FILE という形式があって、それをJpeg FILE に変換する」と理解するまでにしばらく時間がかかるという有り様でした。

 後々、デジタルの時代でなければ費用の面で写真の再開はできなかったろうと幾度も思いました。

 ある日カメラ店で偶然に見かけた本がありました。
「あなたの写真を拝見します」というのです。
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学生時代には自分の写真を講評してもらったことがありませんでした。
しかし、年齢とともに多少は図々しくなるものです。

(大坂 忠)
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by jrps | 2012-11-01 09:23

写真をもう一度 2

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 僕は写真を撮るにしても、用事があっての場合でもひとりで旅行をすることはめったにありません。
多くは妻と一緒です。
しかし、その日は違っていました。
札幌は少しづつ暖かくなり、気持ちが前向きになるような2008年4月のある日に僕はひとりで東京へ向かいました。
 
 僕が二十歳までの学生時代に写真を撮っていたことを妻に話したことはありませんでした。
僕の気持ちの中ではまた写真をはじめる機会があるとは考えてもいませんでした。
写真は、少なくても学生時代に考えていたのは「発表できる写真」を撮るということでした。そ
れには自分なりの課題があり時間と労力と費用がかかることを意味していました。

 そんな中、また写真を撮りたいと思った理由は片方の腎臓を全摘するという大病をし、医師から10年後の生存率を告げられたことが大きかったと思います。
医師は淡々といくつもの数字を並べて十分な説明をしてくれました。
僕には全く予想がつかなかった話題でしたが、僕なりに質問をし、理解をしたつもりでその日は終わりました。
 
(大坂 忠)
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by jrps | 2012-10-29 18:23